「嫌なら見るな!」「お前は出来るのかよ!」

なんか前回の記事読み返してたらずいぶん脱線したうえに力みすぎて若干アイタタタなかんじになってましたね。修正しようにもめんどいので今後はもうちょい丁寧に書こうかなと。

で、これからまた「否定的感情を否定的にとらえること」についてブツブツ書き始めようということなんですけども、その対象は今回は、「自分が好きなものを貶されるとキレるひとたち」です。こういうひとたちがワンサカ集まっているのがyoutubeのコメント欄、というわけですね。でも実際にそのコメント欄をみてもらうのは、前回も出した悪口を言う・言わないに対して議論するスレで実際にあったレスを晒してからにしたいと思います。

102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/08/30(日) 00:51:44.26 ID:vDUX+td40
ここにいるすばらしい人たちは、正直日本に向いてないと思うよ
だって日本は馴れ合いだもの 自分より優れた人がいたら自分の位置まで落とそうとする習慣があるみたいだし。
外国行くときっとうまくいく



109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/08/30(日) 00:54:02.89 id:baf1dJ8L0
すぐ日本人の気質を問題にして外国にもってく人いるけど、実際に暮らしたことあんのかよ


113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/08/30(日) 00:54:40.61 ID:vDUX+td40
>>109
あるよ、オートストラリア。


145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/08/30(日) 01:03:35.08 id:baf1dJ8L0
>>113
おれはヨーロッパのとある小さな国で暮らしてたことあるけど、
外国行って何が解決するの?

むこうにだって悪口や妬みはあるし、これは別問題だけど差別なんか日本より露骨だよ


これまたイライラさせてくれる書き込みですね。まず「ここにいるすばらしい人たち」という媚び方がいかにも頭悪い。そこはまだいいとしても、ちゃんと突っこんでくれてる人いますから細かく言う気はありませんが「日本は〜」「外国は〜」とすぐ単純な二項対立にもってく奴ってどうなんでしょうねえ。で、この人の主張の肝心要、「日本は馴れ合い」という部分ですがここは個人的にはうなずけるかな。たしかに、馴れ合い的な風潮はそこここで感じたりはする。ただそうやって馴れ合う理由は「優秀なひとを蹴落としたいから」なのかというと、疑問です。嫉妬というよりはもっと大きく、集団への帰属意識、安心感から馴れ合いが始まるパターンが圧倒的に多い気がする。要するに場の意見を一色に塗り込めたいだけという。その原因はなにも嫉妬に限定されるわけじゃない気がする。

つまり、嫉妬から発生した馴れ合いは必然的に否定的な意見で固まるわけですが、いろんな馴れ合いの場を見てみると必ずしも共通の意見がネガティブなものとは限らないわけです。ぼくの印象だと、むしろ何らかを称賛・絶賛する意見が大半を占める場のほうが排他的気分が蔓延している気がする。たとえば荒れているyoutubeのコメント欄。ここの民度の低さは異常です。どこが一番ヒドいか小一時間探しまわったぼくもぼくですが(笑)、研究の結果フランプールとかいうバンドのPVがなかなかの荒れっぷりでした。ティンカスコメントの大豊作。まあそうはいっても大半はフツーなんですけどね。一部の方々がもうひどいひどい。絶句しますよ。んとに。いわゆる「信者」と「アンチ」の大乱闘。基本的にはフランプール支持派が主流の馴れ合い空間ですから、勢いづいた信者のキモさのほうが格段に上なわけですが。というかそもそも、批判的・アンチ的コメントはほとんどスパムとして報告されているか、削除されているのが現状なんですけどね。だからどっちのコメがよりティンカスなのか、正確には判断しかねますが、まず削除したりスパム報告するなよと言いたいわけです。いわゆる情弱なのであれがどういうシステムで削除に至るのかしりませんが、否定派に対する罵倒や牽制や的外れな批判ばかりが溢れ、それに対応するはずの否定派コメントがほとんど見られないというのは一種異様な光景です。

言論弾圧だ!

と大上段に構えるつもりはありませんけど、気に食わないコメントは見れないようにしてやろうという魂胆の、何とも言えぬキモチワルさがあるのも確かです。で、これまた暇人のぼくはJ‐POPのPV動画のコメント欄の住人たちを単純支持型・否定型・アンチ否定型・その他に大別したうえで、さらにおおまかな発言傾向をまとめてみたのでした。

単純支持型の内訳

①ノーテンキ派  喧嘩をよそにその歌手をノーテンキに褒める。喧嘩への言及は一切なし。      

②ポエム派    歌手への想いをポエム風作文にして書きこむ。恋愛系バラードに頻繁に出没。歌詞の深読みが大好物で、聞かれてもいない辛い過去を韻を踏みつつ暴露する。          

③過剰派     褒め言葉が過剰なひとたち。「神!」「世界一!」あたりが口癖。


否定型の内訳

①単純否定派
②罵倒派     口汚く支持派を罵る。煽る。
③ビクビク派   信者たちの反応があまりに気ちがいめいてるのでびびりながらも、なお不支持を表明する。「不愉快にさせてしまったらごめんなさい」等、やたら支持派に気を使う。


アンチ否定型の内訳  

①「お前がやれ」派
②「嫌なら見るな」派
③「人それぞれ」派(ヒステリックバージョン)
④「人それぞれ」派(ドヤ顔バージョン)

 
まあまずノーテンキ派についてですが、じっさいのところどんなに荒れていてもこのタイプが八割を占めています。まあ馴れ合い空間をつくっているのもこの人らではありますが、別にそれに関しては特別とやかく言うことじゃないんで。むしろ好感をもってます。喧嘩をあっけなくスルーする態度は、「人それぞれ!」なんぞとわざわざ口に出して言う連中なんかよりよっぽど「人それぞれ」を実感し、体現しているものと思われますからね。

次、ポエム派。いわゆるスイーツ(笑)と呼ばれるひとたちですね。もともと、スイーツ(笑)という言葉は「流行に流されやすい若い女性」を主に指すものだったそうですが(wikipediaより)、ぼくの印象だと恋空ブームによってその定義はより具体的に「感傷的なワードで文面を飾って自分に酔う人たち」に変わった感がありますね。まあ、どちらも本質を(あるかどうかは別にしても)見ようともしない、表層的な快楽だけを追いかけるという点で共通するわけですけども。
たとえば今更ながらの恋空批判ですけど、あれは矛盾ありまくりなわけです。尻もちついて流産だとか、無菌室でキスだとか。リアリティがない。まるでない。人間関係が主題のはずなのに、そこに必須のはずの心情描写が皆無だったり。すべてノリだけで進めてしまう。嫌い・苦手だった人間を特別な説明もなく好きになる。嫉妬した親友(!)にデマを流されても「美嘉、ごめんね☆」「いいよ!」てなかんじで終了。レイプされても愛の力であっという間に立ち直る。主人公は絶対に怒らないのだ。というか、ネガティブな面を感知しない。感知しても、いつの間にかなかったことになっている。葛藤はまるでなく、こうしたシーンはすべて感傷的な言葉が挿入されることで乗り切られる。そして物語全体がそれを是としているような雰囲気が蔓延しているのだ。ここにあるのは何か。要するに、「否定的感情を持たないこと」に対する、異様なまでの肯定だ。そしてこの肯定感は、お察しの通り、「否定すること」への無条件の否定、嫌悪へと容易につながることになる。恋空信者の排他的性格はここらへんに起因するんじゃないかと。諸々の矛盾点の指摘はすべて「一途な愛の美しさ」「感動」という肯定感にあふれた感傷的文言で揉みつぶされる(「感動できればそれでいいじゃん!」「貶してなにが楽しいの?作者がかわいそう!」)。頭が悪いからその「揉みつぶす」こともまた否定的行為と気付かない。いや、気づいていても、「恋空で感動できる心優しいわたしたち」は、「それを否定する心無い人たち」を否定して当然、というアヤウイ正義感を抱いているフシさえちらほら散見されるわけです。「否定=悪」「肯定=善」という単純な構図しかないわけです。怖いですねえ。
むろん、以上のことは憶測です。憶測ですが、たぶん当たっています。だって、批判コメがないコメント欄ではポエム派がうじゃうじゃ湧くのに、荒れているとこだとまったくポエム派がいない。さてどうしてでしょう。「否定=悪」としか考えない彼ら・彼女らが、ここぞとばかりにアンチ否定型として活躍するからじゃないのか。実際、恋空を擁護する信者の言い分と、youtubeのアンチ否定型の言い分は恐ろしく似通っています。「人それぞれ!」で牽制し、「じゃあ批判派はこれ以上のもの作れるんだな?」と的外れの批判をし、「嫌いなら見るなよ!」と排除する。おとなしくポエムってりゃいいのにねえ。やんややんや喧嘩しているわきで独りキモチよくポエム書いてるやついたら、それこそもう大爆笑ですけどね。

過剰派も同様に、荒れているコメ欄では極めて稀な存在です。賛辞一色のときだけ大量発生する。ポエム派の男バージョン、といった趣がなきにしもあらず。「神!」とか言っているのを見ると何を大げさな、と思うわけですが、まあ、大きなお世話ですね。でも、そこまで褒めたたえるならアンチが湧いてるコメ欄でもやれよ、とは言いたい。やめるなよと。アンチに噛みついていくなよと。少数ですが「この作品のよさがわからないなんて可哀そうに」という憐れみ派がいて、それがこいつらの正体じゃないかと勝手に推測したりします。

さてこの流れでアンチ否定型に話を移したいのですが、まず、「嫌なら見るな!」について。この言葉の持つ臭みに関してはネット上でもだいぶ言われてはいるみたいです。面白いのがあったので載せます。

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見て批判→嫌なら見るな
↑            ↓
見てから批判しろ←見ないで批判

まあ、上のは面白いですがyoutubeの場合強制的に見せつけてるわけじゃないから今回の話には当てはまりませんね。問題は下です。確かになあ、と思いました。見ないで批判した方がよっぽどタチ悪いですよね。要するにこの無限ループが何を表わしているかといえば、「嫌なら見るな」という発言のキモは「見るな!」ではないってことなんですよ。「嫌がるな!」ずばりこれでしょう。「嫌なら見るな!」の裏にあるのは「見るからには嫌がるな!肯定せよ!」というとんでもなく暴力的な言い分です。否定の嫌悪、ここに極まれりってかんじですね。というか、そもそも、もし「嫌なら見るな」を本気で正当な言い分と考えるなら、お前こそ嫌なコメントは見るなって話なんですよ。でもそういう考えはできない。自分の発した言葉を吟味できない。どうして?バカだからでしょう(笑) もしくは、自分は嫌悪感を表現していいが、あいつは許さない、ということか。で、その規範となるものは。作品を肯定しているか、否かだ。公の場で見られるからには賛辞を受けるばかりではなく、嫌がられること、批判されることも当然あるし、あっていいのだということが、理屈の上ですらわかっていないのですねえ。

同様に理屈の上ですら理解できてないのがもう一匹。こちらはよりロコツです。「じゃあお前はこれ以上のもの作れんのかよ!」の方々。まあこの主張のおかしさは明らかすぎてあんま書く気も起きないわけですが、プロとアマの違いが、単に技術量の差にあると思っているんでしょうね。だから技術の劣るアマは技術に優れたプロを貶してはならないと。同じアマ同士ならこの理屈わからなくないですよ。たとえばカラオケで、自分より圧倒的に歌のうまい友達を「下手だな」なんつってバカにした態度をとったらこれは滑稽です。でもプロなのに、歌手で歌が下手、作家なのに文章が下手、これは指摘されて当然です。指摘するアマ側の力量なんてぜんぜん関係ない。まるでない。だってプロは、それを不特定多数に発表し、それで金を稼いでいるわけですよ。ベタな言い方ですが発表された時点でそれは作者の手から離れ、それぞれの受け手の解釈に委ねられる。それなのに批判が許されないなんて、これもたいへんな暴力です。「お前がやれ」派はなんか作品が自分たち支持者だけのものだと勘違いしてらっしゃるんじゃないのんか。これは何も、創作物に限ったことじゃない。欠陥住宅を買わされそうになって文句を垂れたら、「そんなに不満ならご自分で家を建てたらどうですか」とご近所さんになぜか勝ち誇った顔で言われたら。反論とかそういう段階じゃなく、もはや笑うしかありません。全知全能の神にしか批判という行為はなしえないんでしょうかね。どうぞ地震で家がつぶれても元気でいてください。アハハハハハ。

なんかあまりにも延長戦になりそうなのでまた更新します。「人それぞれ」という言葉と、否定派、その他いろいろについて。明日にでも。